

祖父も父も漢方薬を処方する医師でした。
そういう意味では、生まれたときから漢方と縁があったのかもしれませんね。当然、わが家では調子が悪くなったら、漢方薬。いつも家族の誰かしら漢方薬を飲んでいたので、家の中は煎じ薬のにおいであふれていました。
あまり丈夫ではなかった私は、時々風邪をひいて寝込むことがありました。そんなとき父はよく「桂枝湯(けいしとう)」を、また体質改善に「柴胡桂枝湯(さいこけいしとう)」の煎じ薬を作ってくれました。
風邪には「葛根湯(かっこんとう)」というイメージがありますが、その頃の私は葛根湯に含まれる「麻黄(まおう)」という生薬が胃にさわりました。それで父は麻黄が含まれないお薬を選んでくれたのです。
そんなわけで、漢方薬独特の味も香りも慣れ親しんだもので好きでした。ただ、煎じ薬を飲む時の最後に残るカスがどうしても苦手で、両親の目を盗んで庭の花壇に捨てていました(二人とも知っていたと思いますが)。
父は夕食時などに、よく患者さんの話をしてくれました。「こういった症状の患者さんにこんな漢方薬を使ったら、ほんとうによく効いたんだよ」と、とつとつと話すんですね。だから私も門前の小僧で、自然とどんな漢方薬がどんな症状によいのか覚えていきました。
小学校を卒業したころには私もすっかり丈夫になりました。
今は医師として、5歳と10歳の娘の母として、あわただしい毎日を送っています。それでもこうして元気でいられるのは、ちょっとした疲れや不調を感じたらすぐ漢方薬を飲んでいるからかもしれません。
もちろん娘たちにも漢方薬を飲ませています。娘たちもかつての私のように薬の名前を覚えてしまったようで、「お腹が痛いときは○○ね」「風邪のひきはじめは○○」なんて言っています。
大学を卒業して間もないころの話です。
内科の研修医として慶応義塾大学病院で研修していたとき、「この方のこの症状には、西洋薬より漢方薬の方があうのに」と思うことがしばしばありました。当時は漢方を処方する医師は少なく、院内で処方できる漢方薬の種類も限られていました。その後は漢方薬の種類も増え、必要に応じて漢方薬を取り入れた治療をしていました。
1990年に大学病院内に「漢方診療相談室」が設立され、その診療を任されました。当初は、院内の各科からの依頼に対して漢方医学的な診察をして、処方を指示するだけでしたが、次第に患者数が増えてきたため、3年後の1993年には正式な漢方専門外来として「慶應義塾大学病院漢方クリニック」ができました。
そのころまでは大学内にはまだ漢方に対して疑問をもつ医師も少なくなく、以前は私も隠れて漢方薬を処方していたようなものでした。それが漢方外来ができたことで、正々堂々と漢方薬を処方できるようになったわけです。そういう意味でも、「漢方クリニック」の設立は私にとってとてもうれしいことでした。
これまで、ほんとうにたくさんの患者さんにお会いしました。漢方治療にたずさわってずいぶん経ちますが、漢方で驚くべき効果が得られた方は数多くいらっしゃいます。
最近で印象に残っているのは、30歳代のある女性です。
彼女はずっと赤ちゃんができなくて、5年間不妊治療を続けていました。一度、漢方治療を受けたいということで表参道のクリニックにいらっしゃいました。
その方は元気もなく、やせ型で弱々しい感じでした。話をうかがっていくと「冷え症でとても胃が弱い」とのこと。この方には不妊の治療よりまず、胃を丈夫にして元気になってもらうのが先決、と思ったので、「六君子湯(りっくんしとう)」という胃腸を丈夫にする薬を処方しました。
彼女にはたったそれだけを飲んでもらったのですが、なんと1ヶ月後に妊娠。子宮や卵巣の状態を診て治療をする西洋医学と違い、漢方医学では体全体を診て、弱いところを治します。それが妊娠に結びついたわけです。7、8年も不妊に悩んでいた方でしたから、その喜びようといったらたいへんなものでした。私自身はうれしさもさることながら、漢方の威力を改めて感じる出来事となったのです。
漢方薬は女性にとってなくてはならない薬といってもいいほど、女性のさまざまな不調や悩みに驚くべき力を発揮します。実際、漢方外来にいらっしゃる患者さんの7割以上が女性です。更年期障害の悩みを訴える方もたくさんおいでになります。
49歳のA子さんもその1人でした。
診察室に入ってくるなり、ピン、ときました。イライラして顔が少し赤い。上気していました。「あ、これは更年期の冷えのぼせだな」と思ったわけです。訴えを伺ったところ、案の定、イライラ、発汗、手足の冷え、顔ののぼせ、動悸、不眠、肩こりと、更年期の特有の症状が、次から次へと出てきました。とくに発汗にはお困りのようで、「人前でもかまわず汗が吹き出すので、気になって、外出も控えるようになった」とおっしゃっていました。
中肉中背の体格でしたが、お腹を拝見するとちょっと柔らかめ。肋骨の下にやや抵抗があり、おへその上あたりがドックン、ドックンと脈打っていました。
そこで「加味逍遙散(かみしょうようさん)」という漢方薬を処方しました。
2 週間後、顔色もよく、おだやかな表情をされたA子さんが診察室に入ってきました。「飲み始めて2、3日でのぼせがなくなり、ほとんど汗をかかなくなった。うれしくて外出ばかりしている」と話されていました。これまで更年期の症状を訴える患者さんをたくさん診ていますが、最も早く症状が治まったケースで、A子さんには加味逍遙散がぴったりあっていたといえるでしょう。
それ以来、A子さんは加味逍遙散を服用しているととても体調がよく、風邪もひかないということで、2年あまりずっと飲まれています。初めて診察室に入ってきた様子からすれば、今はまったく別人のように健康的です。
最近、患者さんで多いのは「ストレスで体調を崩した」とおっしゃる方です。
大手企業にお勤めのB子さん(27歳)の悩みは腹痛と下痢。部署が変わった半年ぐらい前からよくお腹を壊すようになったそうです。人間関係のストレスや残業が続いたり、仕事の量が増えると、お腹に来てしまって、ご自身のデスクとトイレを行ったり来たり。それがずっと続いていました。一時期、病院で診察を受け、下痢止めをもらって飲んでいましたが、薬が強すぎて便秘になったので、それ以来、薬は飲んでいません。
西洋医学的な診断では、B子さんは「過敏性腸症候群」という状態であると考えられます。下痢だけでなく、便秘になってしまうタイプ、下痢と便秘をくりかえすタイプがあります。過敏性腸症候群は若い方に多く、ストレスが関係しています。食物繊維が入った薬や、下痢止め、下剤などを使って治療をしますが、B子さんのように薬が効きすぎて便秘になったり下痢になったりする方も少なくありません。
そんな方にぴったりなのが、「桂枝加芍薬湯(けいしかしゃくやくとう)」です。この漢方薬はお通じを調整し、腹痛と下痢、便秘も治してくれる両方向に効く薬です。
B子さんの手足は少し冷たく、腹直筋がピンと張っていました。桂枝加芍薬湯があう体質と判断し、処方しました。すると服用を始めた初日から効果が見られたそうです。今も引き続き飲んでもらっています。
漢方医学では、昔から「心身一如(しんしんいちにょ)」という考えがあります。これは「心と体はひとつで、切り離せないものである」という考えです。
現代における心身症など、ストレスによって生じるさまざまな不調や症状は、まさにこの考えに基づいて治していく必要があります。実際、漢方薬を飲んでいくと「体調も良くなったし、気力が出てストレスも感じにくくなった」とか「不安感が治まって、頭痛や胃もたれもとれた」というように、心と体の両方に効果が現れます。
ストレスにもいろいろあります。若い方は学校のストレス、社会人なら職場のストレス、主婦なら子育てのストレス、50歳前後の女性なら更年期のストレス、ご主人のリタイア後におこるストレスなど、数え上げればきりがありません。そうしたストレスで胃が悪くなったり月経不順になったり、ニキビができたり、不妊症になったり、アレルギーがひどくなったりします。
現代社会がこれほどまでストレスにあふれているということを、先人達は予測していたわけではないでしょう。しかし、「心身一如(しんしんいちにょ)」の考えは現在にも通じているわけで、むしろこれからもっともっと漢方薬が必要になってくるような気がします。
※女性の健康を応援するウーマンビューでも「ストレス」について解説しています。
注)その人の体質や症状によって、それぞれ合う漢方薬は違いますので、きちんと医師の診察を受けましょう。