

漢方薬があって、本当によかった--。そう思ったのは、研修医1年目の春のことです。 先々代の茂在教授にあこがれて、大阪医科大学第一内科に入局した私は、医師という仕事に対して夢と希望に胸をふくらませていました。
ところが、入局間もなくある患者さんの主治医をさせていただいた時、いきなり壁にぶつかったような気持ちになってしまいました。
その方は「足が突っ張って、うまく歩けなくなってきた」と訴えておられました。確かに支えがないと歩行困難です。診断をつけるために、毎日毎日、血液や尿の検査、エコーやCT検査などを繰り返した末、ようやくあるけいれん性の神経疾患であることが分かりましたが、そこで問題が出てきました。その病気は難治性で、明確な治療法がなかったのです。
「病名はついても治療法がない、ということは事実であっても、日々大変な検査を耐えてこられた患者さんには受け入れがたいことです。なんとか少しでも希望をもたせてあげられないものか・・・?」そんな思いで医学書や文献を調べてみましたが、やはり治療法はありません。途方にくれていたとき、たまたま目にしたのが漢方薬の医師向けの解説書でした。
パラパラとめくってみると、あるページに「急激に起こる筋肉のけいれん性を伴う疼痛」に有効であると書いてあります。藁にもすがる思いで、その漢方薬、芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)を処方しました。
すると、間もなく少し足のツッパリが楽になったといわれ、症状が軽減、約1ヶ月でそれなりに歩かれるようになったのです。健康なときのようには歩かれませんが、それでもその方はとても喜んでおられました。私もその方の姿を見て、本当にうれしく思ったことを覚えています。
もともと親しみがあった漢方薬でしたが、この劇的な出来事によって、その良さを改めて実感しました。それと同時に、漢方をきちんと学んで治療に役立てたいと思うようになったのです。
実は私自身、幼いときから漢方薬をよく飲んでおり、その良さを体験していました。ですから漢方薬には親しみを持っていました。
小学校のときはたいへん体が弱く、カゼを引いてはこじらせて、よく入院していました。登校した日数より、お休みの日数の方が多かったかもしれません。
そしてそのときによく漢方薬を飲んでいました。名前は覚えていませんが、不思議と苦いとは思いませんでした。むしろ「甘くておいしい薬」だった記憶があります。余談になりますが、私の娘も幼い頃アレルギーがでると、小柴胡湯(しょうさいことう)を飲んでいました。彼女もぜんぜん嫌がらず、「ピンクの“おくちゅり”(パッケージがピンク色だったので)、ちょうだい」と、いつもおねだりしていました。もしかしたら私の漢方薬好きが遺伝したのかもしれません(笑)。
漢方薬を真剣に飲むようになったのは、医局に入ってからです。もうかれこれ18年間も飲み続けています。
小さな頃に比べると信じられないくらい元気になりましたが、無理をするとすぐに体調を崩してしまいますし、アレルギー体質なので、疲れたり、ストレスが溜まったりするとすぐに肌に症状が出てしまいます。漢方薬のおかげで、体調も肌の調子もよろしいですし、学会などで寝不足になって大変なときも、なんとか乗り越えることができるのです。この仕事をしている限り、漢方薬は欠かせないでしょうね。
ちなみに18年間ずっと飲んでいる漢方薬は、体力をつける補中益気湯(ほちゅうえっきとう)です。補中益気湯をベースに、体調に合わせて、あるいは何かしら症状が出たときに1〜2剤追加して健康で過ごせるよう心がけております。
私が専門としているのは「糖尿病」です。
これまで多くの患者さんを拝見してきましたが、糖尿病は、血糖コントロールをきちんとしていなければ、神経や眼、腎臓、全身の血管などに障害が出てきて、大事に至ってしまう、侮るととても恐ろしい病気です。光を失ってしまった方、足を切断された方、脳梗塞や心筋梗塞で命にかかわった方など何人もいらっしゃいました。
でも糖尿病はきちんと自己管理されて、良好な血糖コントロールを保つことができれば寿命を全うできる病気なのです。
そのお手本ともいえる、Kさんは、本当に体に気を遣って、養生に努められていたおばあちゃまでした。
初めてお会いしたとき、Kさんは90歳をとうに過ぎていらっしゃいましたが、そんなお歳には見えないほど、また糖尿病を患っているとは思えないほど、とてもお元気な方でした。
漢方薬は大好きと、風邪をひかれそうになると「葛根湯(かっこんとう)」を愛用されていたKさんは、西洋薬の血糖降下薬のほかに、漢方薬も飲みたいと希望されましたので、加齢や慢性疾患で体が弱っている人に使う八味地黄丸(はちみじおうがん)を処方しておりました。
Kさんのすばらしいところは、血糖値が高いと長く生きられないからと、大好きなお菓子をほんの少しだけ召し上がっては血糖値を測られたり、運動しないといけないと体操を工夫なさったり、養生に努めておられたことです
そして体調に何か変化があるとすぐに相談してくださいました。例えば「低気圧が近づいてきたら、調子があまりよくないの。だからお薬(漢方薬)をいただける?」というように。そのたびに症状にあった漢方薬をお渡ししていましたが、その後必ず、体調の変化をていねいに報告してくださいました。
Kさんのおかげで随分漢方の奥深さが分かるようになりました。まさに私にとって恩師のような患者さんといえるでしょう。
そのKさんが100歳のころ。風邪から肺炎を起こされました。すぐに抗生物質(抗菌薬)の点滴をはじめましたが、高熱で重篤な状態になられました。そして「しんどい、でも生きたい。先生、助けてちょうだい。漢方薬をちょうだい」とうわごとのように言われたのです。
「抗生物質も使っていますし、漢方薬ではこの病気は治しにくいんですよ」とお伝えしましたが、「とにかくお薬をください」と。そこで、Kさんの様子は病気が最も進行した状態でしたから、ある漢方薬を処方しました。すると驚いたことに一服飲まれたあとにぐっすり休まれ、その翌日から解熱、生気をとりもどされたのです。お食事も入り、笑顔がみられるようになりました。抗生物質との併用で、漢方がKさんに何かしら役立ったのです。漢方薬の威力を感じずにはいられませんでした。
漢方医学の診療は、脈を診たり、舌を診たり、お腹を触ったりするので、初めて診療を受ける方はびっくりなさいます。それと同時に緊張の糸がほぐれて、泣き出してしまう方もいらっしゃいます。40代の主婦Tさんもそうでした。
今でも覚えていますが、初診のとき、Tさんはこわばった面持ちで診察室に入ってきて、だまってイスに座られました。こちらはほかの患者さんと同じように、問診をして、舌を診て、脈を診て、そしてお腹を拝見したわけです。
そのとき、それまで自分から話そうとしなかった彼女が、「これまでの先生は診察で触ってもくれなかった。こんなにていねいに診てもらったのは初めて」とぽつりと言い、泣き出してしまったのです。涙を流したことで緊張の糸がほぐれたのか、それから少しずつご自身の状態を話し始められました。
彼女は何年間も続いている疲労感のために、いくつもの病院に行かれたそうです。ところが、どこへ行かれても「異常がない」「気の持ちよう」と言われてしまう。私の診察室に入ってこられたときも、“どうせ、この病院もダメだろう”というお気持ちと、“でも、何とかしてほしい”というお気持ちが一緒になっていたそうです。
確かに西洋医学の立場で考えると、Tさんに異常は見られません。しかし、漢方医学の視点に立つと、Tさんは「気・血・水(き・けつ・すい)」の「気」が不足している「気虚」と、血の巡りが悪くなっている「お血」が強く、体が疲れやすくてだるいのも無理はない、と思える状態でした。
そこで、「気」を補う補中益気湯と、お血を解消する桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)を処方しました。すると2週間後には体の調子がよくなり、3ヵ月後にはすっかり元気になられました。
主婦のTさんのケースでもそうですが、漢方は、西洋医学の網に漏れた方々を治療できる場合があります。非常に不定愁訴が強い人に対して、西洋医学で治療するのは難しいけれど、漢方医学では対応するお薬がある場合が少なくありません。そういう意味では、漢方を学んだことで患者さんに対して非常に優しくなれましたし、治療の幅が広がったと思います。
だから漢方の良さをもっと多くの医師に知ってもらいたいですし、西洋医学の治療のなかでも必要なときには漢方治療もとりいれることができるような東西医学融合型の医療を根付かせたい。これが私の目指すことですが、これは決して無理な話ではありません。
糖尿病を例にとりましょう。
糖尿病に欠かせない血糖のコントロールには血糖降下薬が不可欠です。実際、西洋医学ではインスリンをはじめ確実に血糖コントロールが可能な薬が揃っています。
しかし血糖値が低下しても、しびれがとれない、疲れやすい、冷えるといった自覚症状が改善されないことがままあります。こうした自覚症状に対し、牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)などの漢方薬は西洋薬以上に有効です。近年の研究で、鎮痛作用や末梢血流量増加作用、インスリン抵抗性改善作用など作用機序が解明されつつあります。
実はこの研究というのが、今の漢方にとって、とても大事なことなのです。
西洋医学では科学的根拠や作用機序を重視します。一方、漢方は長年の経験に基づき、「こういう患者さんには○×という漢方薬が効く」という指標はありますが、なぜ効くのかという科学的根拠には乏しいと言わざるをえません。やはり現在の医療のなかで漢方を根付かせるには、伝統の手法を継承していきながら、きちんと科学的根拠を提示していく必要があるのです。
糖尿病に加えて、今、私が注目しているのは「メタボリックシンドローム」です。
メタボリックシンドロームとは、内臓脂肪の蓄積をベースとして、糖尿病や高血圧、高脂血症などを合併した状態で、動脈硬化性疾患が引き起こされやすい状態を言います。
このメタボリックシンドロームの治療は、内臓脂肪への対応が大切ですが、現在、西洋医学では運動と食事療法のみで、保険適応となる西洋薬は明確ではありません。そこで漢方薬が期待されるのです。
実は、メタボリックシンドロームの考え方は、漢方の「未病」の考えに近いと思います。氷山に例えると分かりやすいでしょう。
糖尿病や高血圧、高脂血症といった生活習慣病は、氷山の水面から出ているごくわずかの部分であり、水面下には内臓脂肪の蓄積という大きな氷の固まりがあります。だから、糖尿病や高血圧、高脂血症を治すだけでなく、根本的にこの大きな氷の固まりを溶かしてしまわなければ、何も解決しない、これがメタボリックシンドロームの考えであり、未病の考えなのです。幸い、防風通聖散(ぼうふうつうしょうさん)や防已黄耆湯(ぼういおうぎとう)に内臓脂肪の減少効果があることは、いくつかの研究から確かめられています。
こうした漢方薬を使うことで水面下の氷を小さくし、糖尿病や高血圧にならないようにすることが、とても大事ですし、健康で元気で生きるために必要なことだと思っています。
注)その人の体質や症状によって、それぞれ合う漢方薬は違いますので、きちんと医師の診察を受けましょう。