世の女性たちに「女性外来」をもっと活用してほしい
〜性差医療の先駆者に聞く、これまでの道のりとメッセージ〜先生のプロフィール
一般財団法人 野中東皓会 静風荘病院 特別顧問 天野 惠子 先生1967年東京大学医学部 卒業。69年米国留学(New York Infirmary)。70年カナダ留学(Royal Victoria Hospital)。71年 帰国。76年東京大学医学部第二内科。83年同助手。85年同大学保健センター助手。88年同講師。93年 東京水産大学(現・東京海洋大学)保健センター 教授。99年日本心臓病学会で「女性における虚血性心疾患」のシンポジウムを企画。2002年 千葉県立東金病院副院長・千葉県衛生研究所所長。09年財団法人野中東皓会静風荘病院特別顧問。
わが国で、性差医学・医療研究および実践・啓発の第一人者。2002年「特定非営利活動法人性差医療情報ネットワーク:NAHW(New Approach to Health and Welfare)」、2002年「性差医療・医学研究会」を創設。同会は2008年「日本性差医学・医療学会」と名称変更され今日に及ぶ。
いまでこそ当たり前になってきた「女性外来」。女性ならではのちょっとした不調や健康不安に答えてくれる、そんなありがたい存在に救われた人も多いのではないでしょうか。
この女性外来を日本で最初に始めたのが、天野惠子先生です。
医師になったきっかけから、男性優位な社会のなかで生きてきた苦悩、痛感したアメリカとの違い、そして性差医療を重視し女性外来を設立した理由などについて、お話を伺いました。
7歳で「死」に直面、「私は医者になる」と決意
私が医者になろうと思ったのは、7歳のときです。父の仕事の都合で長野から秋田へ移ったのですが、そこでは元気すぎて、近所の子からちょっと距離を置かれてしまったんです(笑)。そんなときに仲良くしてくれたのが、1つ年下の女の子でした。
だけど、その子のおばあさんがくも膜下出血で亡くなられて、その子はどこかへ引っ越してしまいました。そのとき、私は母に「どうして人は死ぬの?」と、聞いたんですね。すると母は「あなたがお医者さんになって、みんなが死なないようにしてあげたらいいんじゃない?」と。それで、「私は医者になる!」と決心しました。
その気持ちはずっと変わらなくて、小学校の卒業式の寄せ書きにも「東大の医学部に入ってお医者さんになります」と書きましたね。その後、東京大学の理科二類に入り、医学部に進学しました。(※当時、医学部は理科二類から進学することになっていました)
ただ、東大の医学部に入ったものの、6年生のときに東大紛争が勃発。卒業は遅れるし、東大病院が閉鎖されて研修先もない…。そこで都内の病院で研修を始めた後、アメリカに留学することにしました。
日本とまったく違う、アメリカ留学で受けた衝撃
留学先はニューヨークにある病院。そこで過ごす日々は、刺激的な出来事ばかりでした。
その一つは、心臓病の治療がとても先進的だったこと。そこで日本との違いをまざまざと見せつけられたことで、私は心臓の病気を治す医師になることを決めました。
振り返ると、この留学での出来事がなければ、ライフワークの一つである微小血管狭心症(後述)を深く追求することはなかったかもしれません。
もう一つは、女性の働き方がとてもフレキシブルに進んでいて、これも日本とはまったく違っていたことです。
当時の日本には女性の医師は絶対的に少なかったのですが、私の同級には10人いました。後にも先にもこのようなクラスはありませんでしたね。その頃は、女性の権利などは夢のまた夢、男性とすべて均等に当直も日直もやっていました。
ところが、アメリカでは子育てをしながら働く女性医師も多く、すでに性差を考慮した働き方が普通になっていました。例えばカナダでは、三つ子の母でもあったある医師は、10時に来て15時には帰っているとか、ですね。日本ではあり得ないことばかりでした。
アメリカと日本との女性の働き方の違いに衝撃を受けた私は、帰国後、周囲の人に話してみましたが、結局、何にも変わりませんでした。「それはアメリカの話でしょ」「天野さんはGoing my wayだから」などと言われて、おしまいでした。
私は帰国後に出産、子育てを経て、東大の医局に戻りましたが、男性優位な社会で、教授と助教授、専門助手、そして選挙で選ばれた病棟助手以外は待遇も悪く、しかも選挙では男性が有利でしたので、既婚女性の私は大変不利な状況でした。
信じられないと思いますが、「君は、旦那が稼いでいるから」と言われたこともありました。今なら大問題ですね。
更年期以降の女性を襲う「微小血管狭心症」
話を専門の心臓病に移しますね。
更年期の女性を悩ませる胸痛の一つに、「微小血管狭心症」があります。そんな病気があるということを知ったのは、40歳のとき。きっかけは、高校時代の女性の友人の胸痛です。
「勤め先の産業医に胸痛を抑えるニトログリセリンを処方してもらったけれど、効かないどころか頭痛がひどくなった」と言うので、いろいろと検査をしたのですが、原因はわからずじまい。そのとき彼女は仕事上の転機を迎えていたので、そのストレスではないかと、仕事をセーブしてもらったところ、一時的に症状は治まりました。
ところが、それから10年後、再び同じような症状が出たのです。やはりこのときも検査では異常なし。
ただ、その当時、アメリカでは微小血管狭心症という病気があることが報告されて、NIH(アメリカ国立衛生研究所)が本格的にこの病気について調べ始めていました。「もしかしたらこの病気ではないか?」そう思ったら、的中しました。
微小血管狭心症とは、心筋に栄養と酸素を運ぶ冠動脈の微細な血管が狭まってしまうことで起こる病気です。更年期以降の女性に多く見られ、女性ホルモンの関与が指摘されています。
命には関わらない病気ですが、ときどき急に襲ってくる胸痛で不安に陥る患者さんも少なくありません。しかし、多くの循環器の医師は、まったく関心がなく、「死なない病気だから」と取り付く島がありませんでした。
気がつくと、私が海外の論文を参考に、患者さんを診るようになっていました。
女性外来を立ち上げ、漢方の勉強会を開催
女性と男性では病気の発症、診断、治療に違いがある。それなら女性に目を向けた医療が必要ではないか?ということで、性差医療を始めたのが57歳のときです。
52歳まで東大で働いていたのですが、子宮筋腫のため50歳で子宮と卵巣を取った影響で、重い更年期障害になってしまいました。結局、診療を続けられなくなり、東大を離れ、そんなときに、小渕恵三総理(当時)が関係する健康のためのプロジェクトでお会いしたのが、千葉県知事(当時)の堂本暁子さんでした。
テレビ局記者出身で女性の社会的地位の向上などに取り組んでいた堂本さんに、「医学にも性差がある」という話をしたところ、「医学にジェンダーの問題があるのですね」と驚かれました。
全国にある81の医学部のうち43の附属病院に「女性外来」が設立されました。女性外来担当医の勉強会として「NPO性差医療情報ネットワーク」を立ち上げたのが2002年です。その後、私自身も堂本さんからの強い希望があり、千葉県の病院で女性外来を始めました。
でも、なぜ女性外来なのか。それは、「医師は男性ばかりで、女性の声を聞いていないと思ったから」です。医師として女性が何に困っているのかを理解するところから始めるべきと考えたのです。そしてこのとき役立ったのが、漢方です。
女性外来にいらっしゃる患者さんはとにかく話が長くて、起承転結がわかりにくい。それはなぜかというと、自律神経失調症がベースにあるからです。自律神経失調症は、さまざまな症状が入れ替わり立ち替わり出て、日によっても違う。とにかく説明がしにくいんです。
これに対抗するには、もう東洋医学(漢方・鍼灸・気功など)しかない、なかでも薬である漢方薬は一番医師が勉強しやすいのではないか、と思いました。それで漢方の勉強会を始めました。漢方薬を出すことで、女性外来の医師になんとか「成功体験」を得てもらいたかったのです。
ひどい更年期障害を救った当帰四逆加呉茱萸生姜湯
先ほど少し話しましたが、私自身のひどい更年期障害も、漢方薬と養生で乗り越えました。
服用したのは、「当帰四逆加呉茱萸生姜湯(とうきしぎゃくかごしゅゆしょうきょうとう)」。これと入浴のおかげで、不快な症状に対処することができました。
なぜ女性の不調に漢方がいいのかというと、漢方薬は多成分(生薬)でできていて、複雑な症状に効果が見られるからです。西洋薬の成分はシンプルなので、単純な病気であればビシッと治ります。しかし、更年期障害のような、ホルモンバランスの乱れの末に自律神経失調症を起こし、その結果、全身の器官が混乱する病気には太刀打ちできません。そこにまさに合うのが漢方。それに気づいてからは、漢方薬しか使わないといった時期もありましたね。
最初に患者さんに使ったのは、「呉茱萸湯(ごしゅゆとう)」。片頭痛の女性でした。
意外と知らない方がいるかもしれませんが、片頭痛は女性に多い、まさに性差医療が必要となる病気の一つなのです。片頭痛は頭痛薬でもよくなりますが、長期的な服用で胃のトラブルが起こりやすく、また薬による頭痛を誘発してしまう問題もありました。
そこで、私はこの患者さんに呉茱萸湯を処方したところ、長年の片頭痛が軽くなったのです。さらに、呉茱萸湯は胃薬としての性質もあるので、胃のトラブルにも配慮しています。
結局、この方は1年ぐらい治療を続けたところ、薬を飲まなくても頭痛が起こらなくなりました。患者さんのうれしそうな顔と、漢方薬がこんなに効くんだという驚きとが、今も印象に残っています。
女性外来の活用法、まずは専門の診療科でチェックを
今では女性外来という名前も浸透し、女性の駆け込み寺のような存在になっています。
しかし、実際の女性外来は他の診療科に比べて弱小で、一人ひとりに時間をかけて診療をするので採算が合いません。また、どこの病院にでもある外来ではありません。
そんななか、女性外来の活用法として皆さんにお伝えしたいことがあります。
誤解を恐れずに言うと、「最初に女性外来にはかからないこと」です。胃が痛かったら消化器科、めまいなら耳鼻咽喉科、関節が痛かったら整形外科…というように、専門の診療科にかかってほしい。
そこでまずは西洋医学的に治せるものに関しては治します。
ただ、それでも解決しない病気はゼロではないのも事実。とくに「呼吸器科、消化器科などといった縦割りの診療科の谷間に落ちてしまった人」や、「心と体の問題が一緒になってしまっている病気の人」の場合は、なかなか専門の診療科ではよくなりません。
そんなときに頼りにしてほしいのが、女性外来なのです。
よく女性外来と婦人科は違うの?と聞かれることがありますが、婦人科は、子宮と卵巣に関する専門診療科、女性外来は女性のための総合診療科ですので、基本的には違います。ただ、今は女性外来を兼ねている婦人科も少なくありませんので、受診する際に尋ねてみるといいかもしれませんね。
胸痛に関してもそうです。更年期以降であってもなくても、まずは循環器内科でしっかり検査を受けましょう。重大な病気がないことを確かめて、異常がなければ、微小血管狭心症を得意とする女性外来で診てもらうといいでしょう。
このようにして、女性外来を活用してほしいですね。
※掲載内容は、2023年12月取材時のものです。